2016年11月27日 公開礼拝で訓読したみ言

2016年11月27日の日本サンクチュアリ協会公開礼拝にて、江利川会長が訓読されたみ言をこちらに掲載いたします。動画を視聴されるときに一緒にご活用下さい。


【「牧会者の道」より】

 

(P590)

 真昼に暮らす群れは、夜に暮らす群れを思ってあざけるが、歴史は、あざけられて追い出された彼らによって、発展してきたということを、皆さんは知らなければなりません。追い出された群れは、世間を革命してきたし、発展させてきたというのです。(27-312

 

(P599)

3 内的な摂理の基点と一致してこそ発展する

先生は、今までこのみ旨を立ててきながら、どこに一番重点を置いたのでしょうか。神様が臨在されるところ、すなわち、 神様が臨在できる基点はどこでしょうか。ここを中心にどのように一致するのか、どのように同化されるのか、ここに神様が公認できる一体性の基盤をどのように立て、内的に適用させるのか、このようなことに一番重点を置いて、今まで戦ってきました。

サタン世界では、外的にこれをふさぐため妨害し、天は外的に妨げるこのサタン世界を征服するために戦いを展開しているのです。

このため、今日世界的に広がっているこの世界のすべての実情は、どこまでも外的なものです。神様は、この世界の中でどこにいらっしゃるのでしょうか。韓国にいらっしゃるのなら、韓国のどこにいらっしゃるのでしょうか。神様は必ず教団に入られるのです。では、先生が生活している青坡洞本部教会と神様の臨在地との関係が、どのようにならなければならなないのでしょうか。もしこれが違うというとき、統一教会は発展するどころか、ここから中断されてしまうのです。

これが横にそれては、今後世界的な同化の基点が成されないというのです。また世界を消化させることのできる基点になることができません。内的中心を、しっかりした場に立てることができないというのです。ならば、どのようにしなければならないのでしょうか。どのような難しい環境でも、責任者は、そのような中心を決定するその基点を、その位置を喪失せず、守っていかなければならないという信念にいつも徹していなければなりません。そのような観念をもって進むとき、私的生活と社会生活を全部解決していくことができます。

皆さんが社会生活をするのは、内的生活を表現することにすぎません。そのような生活の中で、私はみ旨が望む目的に向かって動くようになるかということが問題です。心を中心として体が動くことと同じように、内的な摂理の基点、すなわち摂理の臨在地を中心に外的な世界が動かなければなりません。ところが、そのようになっていないがゆえに問題になるのです。(22-39

 

(P630)

6 統一教会が発展するほど、 サタン世界は滅んでいく

神様に、解放が必要ですか。神様は既に解放されているのです。そうではありませんか?神様に解放が必要なのは、人間を解放しようとするから必要なのです。神様自身は解放されているのです。人が解放されていないので人を解放しようとするから、神様が解放条件に引っかかっているだけであって、神様自身が解放されない方ではないというのです。それで人間にかかっているというのです。

そういった人間を造ろうといった集まりは、世界の中で統一教会以外にはありません。これを知らなければなりません。先生一人を中心として、サタン世界と、天の世界が問題となっています。統一教会を中心として、これが問題となっています。いつでも、神様とサタン世界の中央に立って私たちが、天の側にプラスさせることができる立場に立てば、人間によって神様が解放されるのであり、統一教会が発展するほど、サタン世界は滅んでいくのです。では、私たちの目的は何ですか。人が望む目的は、神様が解放され、神側が勝利することであり、サ汐ン側が滅びることです。それが歴史的願いであり、人類の願いでした。また、神様の摂理的目的でした。これを皆さんは知らなければなりません。(161-244


【「御旨と世界」より】

 

(P450)

我々は変わらない、正しい人間としての使命を果たすということは、神を解放して、神を自由なる立場において初めて、そのような資格をもつことができるのです。そういう自信あるの。統一教会に入ったけれども、何でもないことが好き。何でもないと思って入ったかもしれないが、分かってみれば恐ろしい、が素晴らしいところである。サタン世界においては、これは恐ろしい。神の世界においては、これは素晴らしい。

どんなに反対されても、先生の不屈の精神でもって、それを受け入れ、消化してしまう。アメリカも、君たちが先生と結束して、天にすがって、最後の戦いの戦場に立ったという自覚をもって、我、神の解放、神の自由のためにいかなる苦難の道、いかなる戦いでも、我先頭に立って行くという、この精神一本でいくならば、この巨大なアメリカも、遠くなく神のもとに帰る日が近いと確信しております。だから、伝道して一人を解放させる一人自由にさせるということは、神を解放させる。神の解放の道を開拓していくという道である。こういう意味である。解放の火をつけるのである。家庭、民族、国家、世界へと。

 

(P797)

あなた方は私を、どのように見ますか。世の人々は、私を悪い人と思っているでしょう。(いいえ)。たとえ全世界の人々がそう言ったとしても、一人の方-------神様は「そうではない」と言われるでしょう。ですから、レバレンド・ムーンは、人々が言うことは気にしません。私は常に神様が何を言われるかを気にしています。神が私を良い息子だと思い、神が私を神のチャンピオンだとみなしてくださる限り、周りの世界のことを気にかける必要があるでしょうか。レバレンド・ムーンが一人でなく二人になり100人になり、1000人、1000人が100万になる、若い青年男女がそのようになって五色人種が一つになり、五色人種が一つになって神様が祝福する家庭が編成され、氏族が編成され、民族が編成され、国家と世界が編成されて神様の理想が実現されていくのです。

 私たち統一教会では極端から極端まで、途方もなく劇的なことが起こり得るのです。それは神の愛の至高の力を示すためです。

 

(P805)

きょうの題目は、「摂理と昔今の私」です。この「摂理」とは、何でしょうか。神を中心としてつづられるすべての出来事をいうのです。あなた方は、「自分の摂理はうまく進んでいる」という言葉を使いますか。果たして私たち人間が、そのように言うことができるでしょうか。「神の摂理はうまく進んでいる」という言葉ならば、納得がいきます。摂理とは常に神を中心にしてつづられる歴史です。歴史や文化も神の摂理によるものであり、神の摂理による文化、神の摂理による歴史なのです。そのような観点から見れば、人間にも、神の摂理によって立てられた人間、つまり摂理上の人間がいる、ということができます。この摂理上の人間とは、国家、世界、人類を代表する人間のことです。神の摂理による歴史、神の摂理による文化、そのような過去と現在の(世界の)所産として、私が存在しているのです。