家庭連合に対する素朴な疑問
なぜ、私たちはサンクチュアリ教会を選択したのか

 

永田正治 masaharu nagata


決定的事実-「今後、全部、私がしてきたことを代わりに任せようと思う」

 私は、分派などは教会の力を削ぐ集団だと、関心をもちませんでした。しかし、2015年に亨進様が、「沈黙を破って」で発信しはじめたとき、「分派」とは受けとめませんでした。亨信様はいずれ後継者になるお方だと思っていたからです。
 私はいくつかの亨進様の動画を見、その結論は、亨進様は後継者ですが、お母様は「教祖格」の方で、お母様を優先しなければならない、というものです。そんな自説を二年ちかく持っていましたが、今年に入って、それがくつがえされる事実を目の当たりにしました。それが以下のふたつの映像です。

2008年4月16日 天正宮訓読会 亨進様の家庭連合世界会長就任」 〈聖和4年前〉

先生の息子たちのなかで、教会を誰に任せなければならないと思う?郭錠ファン。
すでにお父様が宣布なさいました。
ん?
すでにお父様は宣布なさいました。亨進様が受け持たれると。
ん?
すでにお父様が話されました。
何と言った?
亨進様が受け持たれます。
そうだ、そうしなければ。
(中略)
今後、全部、私がしてきたことを代わりに任せようと思う。
今、食口たちのなかで、信仰体験からみても何にしても、亨進の基準を超える者はいない。
分かったか。任命するのだ。


2010年6月5日 お父様が、お母様、亨進様とともに文書をしたためる」 〈聖和2年前〉 

― 天宙平和統一本部も絶対唯一の本部だ。
その代身者・相続者は文亨進である。その外の者は、異端者・爆破者である。
以上の内容は、真の父母様の宣言文である。文鮮明印


 私はこの映像を、何度もくりかえし見、自説を変えざるを得なくなりました。すでに2008年4月以前に、お父様は亨進様を後継者として宣布し、それは幹部たちも周知する既定の事実だったのです。2010年6月5日には、お父様、お母様、亨進様の三者でそれを文書化しました。
 これに対し家庭連合は、後継者と定めていない、と強弁しますが、動画なので、どちらが正しいかは一目瞭然です。無理な主張はやめるべきです。
 その後、多くの動画と文章をみて、たいへんな苦しみと歓喜が交差する日々を過ごしました。真の母と慕うお母様が、道を外れていることを知る苦しみ、反対に、亨進様にお父様の真のみ旨があり、あらゆる恵みと力があることを知る喜びです。
 妻は私が話しても「私はお母様派!」と言って「サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り」を熱心に読んでいました。妻とおおくの議論を交わすあいだ、わたしは何度も言葉が詰まる瞬間がありました。「あんたはお母様派、わたしは亨進様派、それでいいや」と言ったこともあります。
 しかしついに妻は、亨進様がお父様の後継者であることを悟ってくれたのです。ここに至るまで、我が家では一進一退の攻防戦が繰り広げられました。この間、いったい何が真理かを探究し、懸命に学び、語り合いました。ですからこの文章は、妻との対話の内容を皆さんに報告するレポートのようなものです。私たちの思いは、いま教会には夢にも思わなかった大変なことが起こっているという悲愴なものです。

 


お父様時代の信仰が通じない家庭連合
 今の家庭連合は、自分は「天の父母様」という神観は間違いで「天のお父様」が正しいと思う。「無原罪の独生女」というものは理解できない。韓氏が選ばれた氏族であることが信じられない。天一国国歌は「栄光の賜物」を歌いたい。亨進様は後継者。などと言ったら大問題になります。
すべてお父様時代には当たり前のことですが、教会でこんなことを言ったら分派だと排斥されます。上に挙げたものは、神観、メシア観、血統観、天一国国歌など、信仰の根本にかかわるものです。これが変われば別の宗教になってしまいます。今の家庭連合はお父様の教会ではなくなってしまったのです。

 


宗教の生命は教祖の唯一性
 クリスチャンが残忍な迫害に耐えたのは、イエス様の偉大な愛に接したからです。死を越える絶頂のとき、大いなる力を与えてくれるものは十字架にかけられたイエス様のお顔です。
 遠藤周作の「沈黙」の主人公ロドリゴは、迫害のなかでイエス様の顔を何度も思い浮かべます。イエス様が受けた拷問を生々しく描いた「パッション」をはじめ、「キング・オブ・キングズ」、「クオバディス」など、イエスと信仰をテーマとした映画や小説が数多くあります。
 それは、信仰を究極的に支えるものは「教祖」だからです。イエス、釈迦、孔子、マホメット、これら四大聖人の本質的教えと、崇高な生涯が、それぞれの宗教のレベルと力を決定しました。宗教の生命は、他の者と代えられない「教祖の唯一性」です。
 お父様は、「神のみが記憶し給う、血と汗と涙にまみれた苦難の道、人間として歩まなければならない最大の試練の道をすべて歩まれ」原理を見出されたのです。お父様のように、真理を探し出し、迫害に耐え、共産主義に勝利し、世界宣教を進め、四度の獄苦を味わったような宗教指導者はいません。この生涯が、お父様がメシアであることを証しています。お父様の愛と実践、すぐれた知情意は、どんな弟子でも、たとえ夫人であっても代わることができないのです。 
 「夫婦は一心同体」という言葉がありますが、心はひとつになれても、内容はひとつになれません。偉大な宗教家、ノーベル賞受賞者、天才的芸術家の内容を夫人が共有できるでしょうか。その卓越した人物だけが持つ唯一のものです。
 お母様は、影のようにお父様を支え、子女様を生み育て、お父様の命令にしたがい、どこへでも行き講演するなど、み旨に大きく貢献しました。この侍る姿勢こそ誰にも真似できないお母様だけの貴い実績です。私たちサンクチュアリ教会員はこんなお母様は愛し従ってゆきます。家庭連合の人々と変わりません。
 しかし悲しいことに、お父様の聖和後、お母様は変わってしまいました。私たちはお母様が、「無原罪の独生女」などと語らず、今も謙遜に、お父様に侍り、お父様を証する人であってほしいのです。お母様が「独生女」と言った瞬間、家庭連合は、お父様の唯一性が破壊され、「お母様の宗教・お母様のレベルの宗教」になってしまうのです。
 現在の家庭連合のすがたを大きな視野で見るため、2000年の時間差をおき、キリスト教に仮定して考えてみましょう。もしイエス様が殺されず、家庭をもち、多くの信者を得て、92歳で聖和されたとします。その後に夫人が、イエス様と自分が完全一体をなしたと主張し、イエス様が後継者と定めた子女様に教団の指導をゆだねず、自身が権力を掌握し、「無原罪の独生女」と称し、「人類とユダヤ教の歴史は私を生むためのもの」、「自身の家系を選ばれし氏族」と強調し、「神の呼称を変え」、「イエス様が定めた国歌を変えた」とします。
 そのような偽りのキリスト教は、もはやイエス様のキリスト教ではありません。そんなキリスト教は、世界を救うどころか、イエス様の唯一性という宗教的生命を失い、弱体化し、歴史から姿を消したに違いありません。今日の家庭連合はこのような道を進んでいるのです。

 イエス様が生前に後継者を定めたならば、夫人は後継者が後を継げるように、リベカがヤコブにしたごとく、母子協助するのが天命なはずです。おなじようにお母様も、亨進様への継承の橋渡し役をなさるべきです。
 今、サンクチュアリ教会の食口は、つよく確信して叫んでいます。それは、お父様にひたすらしたがう亨進様と、お父様の伝統を変えているお母様が、あまりに対照的だからです。私たちは亨進様にしたがいお父様への道を選びました。これは統一食口ならば当然な選択で、そこに一切の迷いはありません。

 


神不在の新天一国国歌 
 まず家庭連合がしたことは、お父様の聖和から半年もたたないうちに、天一国国歌を、「栄光の賜物」から「聖励の新歌」に変えたことです。お父様が興南監獄から解放されたとき、ご自身が作詞された深い思いが込められた歌を廃し、別人が作詞した別の曲に変えてしまったのです。
この改定理由があまりにも陳腐です。韓国と日本のメロディーがちがうので、混乱をさけるために変えた、というものです。実際は、メロディーの違いは一部だけです。こんな違いは、どちらかに統一するなり、歌いやすく編曲すればいいのです。日本の「君が代」はドイツ人が作曲したものを何度も編曲をくりかえし、今のメロディーになったのです。編曲というプロセスは音楽の常識ではないですか。
 改定の理由が本当ならば、あまりにも非常識で見識のないものです。あるいは本当の理由は別にあり、それを隠すため、苦し紛れにこんな理由にしたのかもしれません。
 「栄光の賜物」の歌詞は、1950年、お父様が生き地獄、興南監獄から解放され、弟子を訪ねた平壌でよまれた詩です。悲惨な拷問と苦役をともに受け、命を救い、解放してくださった神に限りない感謝を捧げています。また平壌の弟子をたずねた愛の心情をうたいます。お父様にとってこの時代は、苦難の頂点を越えたときであり、信仰の原点をつくったときでした。
 お父様は天一国国歌を定められたとき、なんども歌い、涙を流されたそうです。私たちも修練会の主の路程で、もっとも涙するのは興南監獄の苦難の場面です。「栄光の賜物」は、「神-お父様の心情-我々-未来の天一国国民」をつなげる、中心に位置する歌なのです。
1番は、興南刑務所から解放された喜び、2番は、自分を訪ねてくれる神、3番は、神に生かされ抱かれる喜び、4番は、神の恵みの大きさと悔い改めです。2番から4番まで、テーマは神への感謝と愛なのです。すなわち、お父様が神と極限のなかで出会った心情を吐露した、神主義を体現した歌です。

 

1 はるかに輝く栄えの光
  強く生きよ自由の生命
  この地の果てまで目覚め立て
  生命の光、永遠にあり
  生命の光、永遠にあれ
   
2 呼びて求むる栄えの主よ
  大いなる姿は 天地を抱き
  蘇きた生命はいずこにと
  尋ぬる君を如何に迎えん
  尋ぬる君を如何に迎えん

3 死から蘇きたこの我は
  蘇かしたお方に抱かれて
  永遠の愛と恵みの声
  いついつまでも喜びを
  いついつまでも讃めまつれ
   
4 栄に入るのも主の恵み
  愛に満つるも主の恵み
  崇め崇めて奉れども
  足らぬこの身を如何にせん
  足らぬこの身を如何にせん


 

2013年2月、お母様はこの国歌を廃し、下に示した「聖励の新歌」を新しい国歌に定めました。しかも、お父様作詞の歌詞をかえ、新歌詞は、公募によって一般食口のものが採択されたのです。国歌とは建国した人々がつよい意志でつくる神聖なものです。国歌の歌詞を公募で決めた国などありません。この方法そのものが邪道で、天一国を冒涜するものです。

 

1 麗しき花よ 愛のバラ
  望みの訪れ 満ち溢る
  全世界あまねき こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん
  自由の天一国

2 気高き純白の 清きユリ
  まばゆき心は とこしえに
  全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん
  平和の天一国

3 真白き妙なる 鶴が舞う
  永久の果てなき エデンのごと
  全世界にあまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん
  統一の天一国

4 高くはためく 天つ御旗
  天地(人)父母様の 願う理想
  全世界あまねく こぞりて祝え
  尽きぬ喜び 輝かさん
  幸福の天一国



 「聖励の新歌」はすばらしい曲です。しかし、お父様が定めた天一国国歌を変えたという途方もない事実から目をそらすことはできません。
 曲のよさに覆いかくされ気づきませんが、新国歌の歌詞は問題です。これはとうてい神様は認めることができません。理由は二つあります。一つは、「栄光の賜物」と比較してみてください。あまりにも心情の世界、訴えるものが違うと思いませんか。テーマが神から離れてしまっているのです。
 不思議なことに、この天一国国歌には「神さま」があらわれません。韓国、アメリカ、イギリス、ロシアなど、世俗国家の国歌にすら神があらわれます。イギリスなどは6番ある歌詞すべてに神があらわれ、12回も神の名が登場します。
 天一国は世俗国家を超えた、神主義に立つ「神」を中心とする国のはずです。そのような国の国歌に「神」が一切あらわれないことは大きな驚きです。よりによって、どうしてこんな歌詞を採用したのか、理解できません。作詞者も審査する側もうっかり忘れたのでしょうか?天一国の根本理念と照らし合わせてみても、こんな重大な欠陥をもつ歌が、天一国国歌になれるはずはありません。神がこの歌を聞いてうれしいでしょうか。神を中心とした国歌を定めたお父様がどんなに嘆くでしょうか。これは統一教会史上最大の珍事かもしれません。一刻も早く、深い神主義にたつ「栄光の賜物」を、ふたたび天一国国歌に戴かなければなりません。

 もう一つは、この歌詞は明るさしかありません。国歌というものは国民の歴史を踏まえてつくられます。善悪闘争の歴史を繰り返した国民の運命は悲惨なものでした。そのため、明るいだけの国歌など存在しません。各国の国歌の歌詞を調べてください。悲惨な戦争の歌詞が多いのです。
 アメリカは「彼らの邪悪な足跡は彼ら自らの血であがなわれるのだ」、フランスは「敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ」などです。「君が代」は重厚ですが、国歌はこれでいいのです。いざとなったら天皇を中心に団結できます。韓国も「神が護りたもう我が国万歳」、「一片丹心」、「苦しくとも嬉しくとも国を愛せ」と、まず「神」を強調し、苦難の中で身をささげ国を愛する精神を歌います。これは、国歌というものが、国が、戦争のような極限の状況を想定し、国民に警鐘をならし鼓舞するためにつくるからです。
 「栄光の賜物」は、お父様が残虐な北朝鮮の監獄という、極限のなかで神と出会った心情を背景につくった歌です。そこには好戦性がある世俗の国歌に対し、神の愛を伝える神主義の強力なメッセージを発信しています。また、「死から蘇きたこの我は、生かしたお方に抱かれて」、「足らぬこの身を如何にせん」など、お父様の深い信仰の世界を伝え、何度歌っても味わいが増し、私たちに生きる勇気を与えてくれます。「お父様の天一国国歌」がどんなにすばらしい歌でしょうか。
しかし、2013年に制定した国歌は、そもそも神が不在で、深い歴史性も、苦難や忍耐という背景も、信仰の告白も、悔い改めもありません。10を越える過剰なキーワードを散りばめ、あるべき神のストーリーがなく、表面的で単純で、軽快な明るさだけを発信しています。いったい、こんな国歌で、未来の天一国国民が、厳しい苦難や試練を克服できるでしょうか。また人が悩み苦しんだとき、助けになるでしょうか。「栄光の賜物」とくらべて下さい!
明らかにこの歌詞は、「お父様の国歌」をあえて廃してまで、採用するに値する内容ではありません。家庭連合の「天一国国歌」の動画をみると、お父様があらわれます。それをご覧になるお父様の心情を思うべきです。しっかりと「栄光の賜物」と読み比べ、真剣にこの歌詞の問題を考えてください。
 限りなく尊いお父様の国歌を廃したお母様の心は、決してお父様とひとつではなく、家庭連合もお父様のみ心を奉じていないという事実に気づかなければなりません。お父様が作詞した真の天一国国歌にもどすため、ともに声を上げましょう。

 


「天の父母様」という不明確な神観
 次は、神の呼称を変えてしまいました。それにともない、家庭盟誓も「神様」が「天の父母様」に、「ハナニム」が「ハヌレプモニム」に変えられました。
 お父様は「天のお父様」と祈っておられました。これは、原理的、宗教的根拠があります。原理講論47ページには「このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示する」とあります。
 ここの「我々」は、統一教会だけでなくキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教の神が相当します。また、天理教も私たちとおなじ両性の神ですが、人に現れる時は男性格の神としてあらわれます。男性格の神とは一神教の不変の伝統なのです。
2010年1月1日、お父様が「天の父母様」と祈祷している動画を示し、お父様も「天の父母様」を認めたとしています。しかし考えて見てください。お父様はその後、再び「天のお父様」と祈り続けました。もし「天の父母様」が正しい祈りならばそのまま維持されたはずなのです。むしろお父様が「天の父母様」という祈祷を「やめられた」事実自体が、「天のお父様」が正しい神の呼称であることを示す動かぬ証拠になるのです。
 祈りとは、見えない神と一対一で向き合うもので、「個」と「個」の対面です。これは祈りの核心的な前提です。そのため神が男性(父)か、女性(母)かという区別が必要なのです。ですから神は両性をもちますが、人間に対しては必ず男性格の存在として現れるのです。男でも女でもない人間はいません。「天の父母様」という男性格でも女性格でもない、父でも母でもない、全くイメージ不可能な存在に対する祈りは、「個」と「個」の対面をさまたげ、焦点が不明確なものになります。晩年のお父様の祈祷も「アボジ」です。心情の世界では「アボジ」のなかに全てが含まれるのです。
 「天の父母様」というものは、お父様も、世界の一神教も使わない家庭連合だけの神の呼称です。こんなお父様がなさらなかった祈祷をして、お父様が喜ぶことができるでしょうか。この間違った祈りにより、家庭連合の食口がうける霊的、信仰的損失は甚大です。今からでも、「天のお父様」というお父様の正統な祈祷に戻すべきです。

 


お母様は「無原罪の独生女」?
 お母様は、「無原罪の独生女」であると頻繁に語られます。しかしこれは、お父様の聖和後、お母様が語られてはじめて知った内容です。家庭連合は、「独生女」という「語」は、お父様が過去180回使ったと言っています。1959年から使い始めたとしていますが、いつまで語ったかは明示しません。
 ともかく、この語は「忘れられた言葉」でした。この内容が原理的に重要ならば、お父様は何度も語られ、全ての食口が周知していたはずです。私たちが馴染みない言葉だったということ自体が、「独生女」がお父様にとって重要でない内容であったことを物語ります。
 反対に私たちは、お父様は堕落人間のなかから一人の女性を復帰し、相対として迎えると信じていたのです。すなわち、お母様もお父様による救いが必要な方だと理解していました。
 しかしお母様が「無原罪の独生女」ならば、お父様の救いは不必要です。それどころか、メシアとして、生まれながらにして地上で人の罪を許す権限を有するお方になってしまいます。
 これは全く新しい救済観です。たとえばクリスチャンにとって、「メシア」ならば、それがお父様か否かという選択が可能です。しかし独生女は、原理にも宗教世界にも存在しません。ですから、「独生女という女性メシア」がそもそも何なのか分かりません。お母様がメシアという選択そのものが不可能なのです。
 まず家庭連合は、「無原罪の独生女」が、一神教の伝統の中で、メシアになりうることを神学的に論証しなければなりません。その次に、それがお母様であることを説明しなければならないのです。気の遠くなるような困難なステップを経なければなりません。お母様が短い言葉で話し、それを神学者が補足して済むことではないのです。
 そして、原理講論のおおくの部分を書き改める、教義の大幅な改定が不可避です。まず、総序の「それゆえ神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である」とありますが、神はもう一人、韓鶴子様も遣わしていたということになり、書き加えなければなりません。
 また、復帰摂理はメシアを遣わすためですが、独生女も遣わすという二大目的があったということになれば、後編の復帰摂理歴史は全面的に書き改めなければなりません。
 しかし、それは不可能です。復帰摂理史はメシアを遣わすことを中心に書かれている聖書をもとに説きますが、聖書には、無原罪の独生女についての記述は一切ないのです。いったい何をもって独生女を説明するのでしょうか。
 本来、「独生女」を語る前に、原理の改定をするのが順序です。あるいは早急にそれをしなければ、おかしいのです。しかしそれはできません。そんなことをしたらお母様が異なる原理を立てていることがあまりにも明白になり、食口が去ってしまいます。ですから、神学者に補足的に説明させて済ましているのです。
 しかし、そもそもの問題として、お母様が、自身が「無原罪の独生女」であることを、家庭連合の神学者に説明させている行為自体が奇異なことです。いったい、自分がメシアであることを学者に説明してもらうメシアなど、どこの世界に存在するでしょうか?

 この語が問題なのは、公職者は分かっています。その証拠に説教ではほとんど触れません。このお母様とのギャップがすべてを物語ります。「それは言わないでください」というのが本音です。
 お母様はご自身について、「六千年人類歴史、二千年キリスト教史は私という独生女を迎える歴史であった」と語ります。こんなことは、お父様は一言も語っておられません。お父様が語られず、原理にもなく、いかなる宗教教義にもない「独生女」をいうものを信じようとするならば、理性をねじ伏せ無理に信じるしかありません。それが正しい信仰でしょうか。
 あなたは、家庭連合が「無原罪の独生女」などと語る宗教でいいのですか?「無原罪の独生女」が世界の宗教界で通じますか?私たちの宗教の未来のため、真剣に、冷静に、これらの問題を考えなければなりません。

 


神に選ばれた韓氏
 またお母様は、韓氏が、古代三韓、大韓民国など、「韓」という字に重ねて、選ばれた氏族だと語ります。「1960年代はたくさんの奇跡のようなことが起こるようになりました。宇宙の母、真の父母として現れるお方は、姓が韓氏でなければならないという啓示を受けた人がたくさんいました(2017年2月)」と語られます。
 これも初めて聞いた内容です。お父様が、「韓氏は選ばれた氏族」と語ったことは聞いたことがありません。韓氏族が神の摂理上重要ならば、お父様は生前に何度も語られ、私たちはそれを周知していたはずです。
 なぜ私たちは、お父様が言わなかったこのようなことまで、信じなければならないのでしょうか?信じられない食口は教会に居づらくなり、つらい信仰的重荷を負います。
 これをキリスト教に置きかえれば、イエス様聖和の二年後、突然、夫人が自分の家系が神に選ばれた氏族だと主張し始めたことと同じです。キリスト教信仰は「イエスをキリスト」と信じることです。イエス様夫人が独生女であり家系は神に選ばれた「もう一人のキリスト」などという新教義は、信者に「真のキリスト」への道をふさぐ障害物以外の何者でもありません。
 お母様はこれらのことを控えめに言うのではなく、強力に、頻繁に語られます。しかし反対にお父様は、「無原罪の独生女」、「韓氏は選民」と語られませんでした。ということは、お父様がそれを理解できなかったことになり、神の摂理に対する無知を意味します。むしろはっきり知っているお母様のほうが、神も摂理もよく知るということになります。それはとんでもないことではないでしょうか。
 人の認識は不完全で、記憶はすぐに薄れます。お父様、お父様と言ってなければお父様を忘れます。ですからキリスト教会では主イエス、主イエスと頻繁に唱えます。今の家庭連合では、お父様より「無原罪の独生女」、「韓氏は選民」が強調されています。このような状態があと5年、10年も続けば家庭連合はどんな宗教になってしまうでしょうか。
 反対に、亨進様のサンクチュアリ教会は、日に日にお父様の働きと栄光が増し加わっています。私の証をすれば、亨進様への確信が強くなればなるほどお父様に接近し、安心と希望を感じます。じつは私は、45年の信仰歴を持つ者ですが、5月14日に初めて、サンクチュアリ教会の礼拝に出席しました。それまでは、サンクチュアリ教会に通う兄弟の話とネットでつながっているだけでした。しかし、この細いつながりからでも、亨進様の姿からはお父様の香りが強烈に感じられ、引き付けられたのです。この文章は、お父様へ続く新しい道への出発の決意のために書いています。みなさんも、懐かしいお父様を近く感じたいならば、亨進様とサンクチュアリ教会をもっとよく知るべきです。

 


徳野英治会長の「真の父母様の一体不可分を示す8つの根拠」について
 徳野会長は2016年4月、サンクチュアリ教会の主張に対し、8つの根拠を示し真の父母の一体不可分性を語っています。

①  お父様は、ご自身の生涯最高の実績、傑作はお母様、と語られた。
 これは私たちも同感です。しかし、お母様が「無原罪の独生女」という、愛と真理の実体、もう一人のメシアならば、そもそもお父様は何もする必要がなかったはずです。お父様の「最高実績、傑作」などにはなり得ません。この言葉自体、女性のメシアならば、使うことが許されない非礼な表現ではないですか。この言葉が成立するには、お母様が私たちと同じ堕落人間で、メシアであるお父様が教育し、成長させたということが前提になります。このお話はむしろ、お母様が「無原罪の独生女」ではないことの確かな根拠になります。

②  真のお父様は、ご自身の聖和後は、真のお母様を第二の教祖と思って従えと厳命された。
 これがいつのみ言か、徳野会長は言及していません。家庭連合の主張の問題点は、「いつのみ言か」を明示しないことです。新聞や週刊誌でも重要事項はかならず何年のことか示すのが常識です。お父様の膨大なみ言から、自分に都合のいい部分だけを引用し話を組み立てれば、どんな内容もつくりあげられます。それを避けるために、いつのみ言なのか示すべきなのです。
 お父様の後継者に対する御意思を推測するには、聖和から5年、10年ほど前、すなわち21世紀に入ってからのみ言に注目しなければなりません。それにはやはり、最初に提示したふたつの動画が決定的に重要です。
 2008年4月16日、つまり聖和の4年前、亨進様家庭連合世界会長就任の「今後、全部、私がしてきたことを代わりに任せようと思う」という動画、また、2010年6月5日、聖和の2年前、「その代身者、相続者は文亨進である」という文章を書いている動画です。
 特にふたつ目の動画は、重要な事実を映し出しています。亨進様が後継者であることを命じた文書を、お母様が、お父様に書いていただくように横で積極的に言葉をかけ、亨進様は少し離れたところにいます。それは亨進様が後継者になることは、お父様だけではなく、「お母様もおなじ思い」だったことを示します。
 ですからお父様は、お母様が、亨進様が後継者になることを助けると信じ、安心していたはずです。聖和後最大の課題は後継者問題です。第二の教祖と思い従えというみ言のポイントは、お母様が亨進様を母子協助することに食口は従いなさいということです。
 また、「第二の教祖」という語は比喩表現で、事実ではありません。比喩と事実を混同し、お母様がお父様と同等などと理解したら問題です。
 今日、お母様は「お父様が果たせなかったことを私がしてさしあげる」と繰り返し語ります。よい言葉に聞こえますが、これは、人は死んだら終わりと考える、世俗の会社を引き継いだ後継者のような言い方です。お父様は死んでいません、今も生きてはたらき、先頭をきってみ旨を成しているのです。
 キリスト教徒は教会が発展するのは主の導きと信じます。信仰深いクリスチャンならばイエス様は今も生きてはたらいていると考えるのです。
 サンクチュアリ教会もおなじです。亨進様、国進様はじめ全ての食口も、お父様は今も生きて自分たちを導いていると思っています。「お父様が果たせなかったことを私がしてさしあげる」などと、お父様を過去の人にするような考えをする人はいません。家庭連合とサンクチュアリ教会のお父様観の大きな違いはここです。
 第二の教祖という言葉は、「唯一の教祖」であるお父様のみ心にお母様がしたがうということが前提になります。もし、お母様がお父様のみ心に反する行動をするなら、比喩表現である「第二の教祖」という言葉は意味のないものになります。
  
③  お父様を誰よりもご存知の方はお母様。
 夫婦が互いをよく知ることは自然なことです。それが一体不可分の証明にはなりません。それよりも、徳野会長はここで、「お母様は52年間も長きにわたってお父様に侍った」と言っていますが、この「侍った」という事実が重要です。
 侍るということは、上下の関係があります。それは世俗的な男尊女卑の思想からなされることではなく、天的な神の秩序から、侍る方、侍られる方の関係性があるのです。すなわち、お母様はお父様に侍らなければならない天理があるから侍ったのです。
 お母様の貴い価値は、52年もの間お父様に徹底して侍ったということです。先にも言いましたが、私たちはそんなお母様なら喜んで従ってゆきます。本来のお母様になんの疑問も、不信もありません。しかし、天一国国歌と神の呼称を変え、無原罪の独生女などと自称する、今のお母は、とうていお父様に侍っているとは思えません。私たちは昔のお母様に戻ってほしいのです。

④  2月20日の祝福式にお父様の祝祷を使われた。
これはすばらしいことです。しかしこれが特別に一体不可分の根拠になるとは思いません。

⑤  お父様は「独生女」という言葉を180回もつかわれた。
 徳野会長は「独生女」という「語」だけを言及し、「無原罪の独生女」、「人類歴史六千年、キリスト教史二千年は独生女を迎えるためのもの」などの、お母様の「はなし」については触れていません。「語」の問題だったら「表現」にすぎませんが、お母様の話は「教義」になっているのです。私たちはそれを問題にしています。そのほか徳野会長は、「天一国国歌変更」、「韓氏の選民化」にも触れていません。

⑥  天一国三大経典を出版し、天一国憲法をつくられた。
これらの事業を継承するのは当然のことです。内容については別の機会に論じます。

⑦  8月13日の最後の祈祷前後に、御父母様は一対一で過ごす時間が多かった。
徳野氏も言っているように、それは夫婦として「自然な情」で、おおくの夫婦もそうするのではないでしょうか。

⑧  真の父母様の勝利により、小羊の婚宴をむかえられ祝福ができた。祝福家庭がお父様であれお母様であれ、どちらかでも批判することは祝福の出発点を否定する行為であり、霊的自殺行為。
 この問題を考えはじめたころは、霊的自殺行為のように感じ、苦しみました。私たちは好きでお母様を疑っている訳ではありません。「途方もない、信じられないことが起こった」と当惑しながら、今の状況を嘆き、訴えているのです。
 私は徳野会長に言いたい。この問題は、もしお父様が生きていたらできたか?と考えれば解けるのです。お父様がいらしたら、天一国国歌を変えることができましたか?ありえません。「天の父母様」と神の呼称を変えられましたか?おなじく家庭盟誓を変えられましたか?お母様が「無原罪の独生女」、「韓氏は選民」などと言えましたか?亨進様を追放できましたか?すべて、ありえません。これらはお父様が「いない」という状況のなかで可能だったのです。幹部はこれらの逸脱を「真の父母様は完全一体」というお決まりの文句で正当化しています。
 もしできたと言うのだったら。お父様がこれらのことをする意思があったことを証明する動画を示してください。もしあれば、家庭連合には多くの記録とそれを探し出す人材がおり、すぐに出せるはずです。
 家庭連合は食口に、見るな、聞くな、会うな、孤立させろ、とサンクチュアリ教会との接触を禁じています。それはおかしなことです。家庭連合は「サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り」を発信しています。5月には、まとめのナンバー2が送られてきました。太田朝久さんのような優秀な人が書いているのです。家庭連合が正しいなら、主張は強力です。ビクビクする必要はないはずです。
 食口はこれを読む一方、サンクチュアリの主張も聞けばいいではないですか。私たちは「統一教会反対派」ではなく皆さんとおなじ「統一食口」です。ただ、お父様聖和以降の教会の歩みに同意できず、その是非を問うているのです。
 食口の皆さんも、お父様の真のみ旨は何なのかを知るため、家庭連合とサンクチュアリ教会、両者の主張を知り、正しい判断をすべきです。サンクチュアリ教会の食口はみな、両方を知って、この道を選択したのです。今の家庭連合やり方は、まるで北朝鮮のような独裁国家の方法で、自由人である食口をバカにすることです。サンクチュアリ教会を知ることを禁じている家庭連合こそ、真理の世界から孤立している閉鎖的団体なのです。

 


亨進様が「統一教」にかえたことに対する宋龍天総会長の批判について
 「世界家庭」五月号で宋龍天総会長は、「むしろ世界平和統一家庭連合という貴い名前を統一教に変えるという愚まで犯してしまいました」と批判していました。私は当時韓国に住んでいましたので、現場感覚でこれについて言及したいと思います。
 当時、韓国の教会では、「世界平和統一家庭連合」と「世界基督教統一神霊協会」というふたつの看板をかけていたのです。そして社会での通称は「統一教」で、食口は「統一教会」あるいは、「統一教」と言っていました。何よりも、お父様自体が「統一教」とおっしゃることが多かったのです。
 「家庭連合」という名称は社会的に認知されず、食口も三つの名称を使っていました。今でも一般では「統一教」です。私のもとに、教会が表紙をかざった四冊の週刊誌がありますが、すべて「統一教」で、正式名称も書いてありません。
 当時、教会は複数の名称が並び立ち、あいまいなイメージしか社会に示せない状況だったのです。そこに堂々と社会の通称である「統一教」を名乗りはじめたアイディアはすばらしいものでした。おおくの食口も自然に受け止めました。これで社会と教会のイメージギャップを埋める効果が期待できたのです。ですから、お母様が、国民にひろく認知されている、「統一教」という名称を廃したことの是非は意見が分かれるところです。
 総会長がこのような事情を言わず、亨進様が「統一教」を強調したことを「愚を犯した」と批判すれば、日本の食口は納得するしかないのです。それはフェアな態度ではありません。
 当時、亨進様は「統一教」の呼称だけでなく、礼拝形式の改革なども進めていました。従来のキリスト教式礼拝は私たちにとっては恵みがありますが、外部の人にとっては違和感があり、新鮮味もありません。そのうえ説教は食口でなければ、理解できない内容ばかりです。
 教会の問題は伝道が進まないことです。これは統一教会だけでなく、宗教全体のかかえるジレンマで、宗教が魅力を失っているのです。それを突破するには、旧来のやり方では不可能です。若者にも魅力あるものに改革しなければ宗教の未来はありません。当時、亨進様の礼拝形式の改革は、宗教学者たちも注目していました。お父様の聖和によってこの改革は中断したのです。
 家庭連合はこの改革に対し、亨進様の伝統から外れた行動だったと批判しています。しかし今の教会は改革なくして発展はできません。人々に開かれた教会に変え、新しい宣教方法を考案しイメージを刷新しなければなりません。一つの方法が失敗しても、別の方法を考案し、不断に改革を推進しなければ発展は望めないのです。お父様の最も本質的な伝統を守らない家庭連合が、教会発展のために行なった亨進様の改革に対し、伝統を守らないなどと批判するのは、大きな矛盾であり、的外れなものです。

 


東アジアの危機に対するサンクチュアリ教会の対応
 昨年の朴大統領弾劾の大規模デモからはじまり、北朝鮮の核ミサイル開発をめぐる軍事的緊張など、朝鮮半島を震源地とする東アジアは、一触即発の危機的状況にあります。日本では連日、緊迫した報道をつづけています。
 家庭連合の礼拝にいって、奇異なのは、説教者が昨年の韓国の混乱も最近の軍事的危機にも、ほとんど全く言及しないということです。4月16日の礼拝は、金日成誕生記念日の翌日で、テレビの過熱報道も頂点に達しているときなので、何か言ってくれるのではと期待していました。ところが一言の言及もありませんでした。キリスト教会ならばこんなとき、「平和のために祈りましょう」と呼びかけます。ところが家庭連合の礼拝では、一切の話がなかったのです。いったい、どうなってしまったのでしょうか。
 宗教は精神的なことが重要で、国際的危機などは関係ないということもできます。しかしお父様はそんな態度だったことは一度もありません。常に国家、世界の運命を教会の運命と一体ととらえ、国民に警鐘を打ち鳴らし、先頭を切って行動しました。今の家庭連合に一番欠けているのはこの姿勢です。
 亨進様は、ミクロコスモスである私たちの心と行動が、マクロコスモスである国家、世界の運命を左右すると常に語られ、積極的に行動します。亨進様のこの姿勢は、お父様が危機のまえに講演をなさり災禍を避けた姿を彷彿させます。
 すでに2年前、韓半島を中心とし世界が大混乱に陥ると語り、現在、その予言は的中したのです。サンクチュアリ教会が熱烈に支持したトランプ大統領の誕生から、韓国での統一旗、星条旗、太極旗を掲げての運動、日本での、安倍首相とトランプ大統領を強力に支持する画期的デモなど、まさに亨進様の奇跡のようなリーダーシップには、お父様が生きて働いているとしか思えません。
 亨進様の歩みは、70年代からアメリカでなさったお父様の歩みを見ているようです。神の世界摂理は明らかにペンシルベニアにおられる亨進様を中心に動いています。亨進様をお父様の後継者と悟れば、今も生きてはたらくお父様の愛と真理の力によって心霊が復活します。今や、皆さんも決意し、真実のみ旨の流れに合流し、新しい道を進むべきです。

 

 

永田正治さんのプロフィール】

1954年東京生まれ。高麗大学歴史学科卒業。崇実大学統一政策大学院修士、啓明大学日本学博士課程修了。慶州ソラボル大学勤務(1997—2007)。慶州歴史文化都市造成計画TF委員歴任。著作に『北朝鮮関連日本書籍の分析』、『徳川綱吉の儒教政策』など。日本に帰国後は、信者の異宗教交流により宗教間交流の活性化をめざす「異宗教コミュニケーション」を提唱。「異宗教コミュニケーションのすすめ」、「宗教の復権と異宗教コミュニケーション」、「宗教多元主義と異宗教コミュニケーション-遠藤周作『深い河』を中心に」などがある。

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